2025/7/30
今日7月22日は、私の70歳(古希)の誕生日です。
古希とは、「人生七十年古希稀なり」という唐代の詩人・杜甫(とほ)の詩に由来し、「珍しいほどの長寿」を意味します。
還暦は数え年61歳(満60歳)ですが、古希は数え年70歳(満69歳)となるのが基本です。
昔は70歳まで生きる事自体が稀であり、そのために古希は盛大にお祝いされて来ました。
古希の後には喜寿(77歳)、傘寿(80歳)、米寿(88歳)といった長寿の祝いが続き、それぞれが人生の節目を象徴しています。
1955年(昭和30年)に生まれ、昭和・平成・令和と生きて来ました。そして「あっ」という間に70年の時が流れました。
先に、ブログ「七転び八起き」で触れた様に「病との戦い」の
一面も有りますが、今回は年代を追って、その出来事と合わせて振り帰って見たいと思います。
私が、生を受けたのは、新潟県東頸城郡(ひがしくびきぐん)(現・上越市)、長野県との県境で、冬は積雪が4mも有る田舎に、3人兄弟の長男として、稲作農家に育ちました。
小学校の時、母親を胃癌で亡くし祖母に育てられた。その後父は再婚し、新たな母親と共に、父の農家を継ぐ決意でいました。
しかし、1969年(昭和44年)14歳(中学校3年)の秋、大きな台風の影響で、稲作経営する田んぼの8割が再起不能の状態となり、已む無く田舎を出て、父の出稼ぎ先の栃木県の地へ、家族で移住。
転校して直ぐに、中学卒業を迎え、卒業後は父の勤務先に中卒で就職。15歳で働き初めました。
夜間高校へ電車を乗り継いで4年間通いました。その時の同級生とは、今でも年賀状のやり取りをする仲です。
高校卒業後、社会人になるのを拒み、両親の反対を押し切り、新たな就職先(秋葉原)と大学生活を求め、単身東京中野へ。
初めて、中野の、会社の寮に住み、仕事と夜学(東洋大学)へ通う生活が始まりました。
入社し、物作りから始まり、品管、営業と経験を積み、役職にも就く事が出来ました。
そんな中、中野区の青年団の代表として、中国へ視察訪中へ。
北京・大連・瀋陽へ9泊10日のの貴重な体験となりました。
帰国後、縁有って、今の妻と1985年(昭和60年)に結婚。
29歳の時でした。
3人の子供達にも恵まれました。
そして、それまで18年間勤めた会社を辞め、1993年(平成5年)に、当時外注先だった商社に37歳で転職。国内の得意先全社を、担当するまでになった。
途中、病で1年半の休職も有り、2022年(令和2年)には脳溢血で倒れて、約30年間勤めた会社を、2023年(令和3年)11月に退職した。
15歳から仕事を続けて来て、67歳にして初めて、仕事から開放された。
今までの来し方を思う時、様々な点在する出来事が、現在に至るまでに、線で結ばれている様に思う。
生まれて、中学まで過ごした新潟県、自然災害で、生活の場を求め、移住した栃木県、高校卒業して両親の反対を押し切り、大学への道を選んで、上京した東京・中野。
その一つ一つに、意味が有り、ドラマが有った。
様々な「人」に助けられて、今が有る。
70歳(古希)を迎えた今、孫も2人誕生し、「人生七十年古希稀なり」が心に響いて来て、感謝の想いが溢れて来る。
その想いを、ここから更に「人生100年時代」を生き抜いて行こうと、決意を新たにしている。
未来に向かって「生涯青春」を合言葉に。

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