
2026/6/30
こんにちは。リハスワーク市川国府台です。
今回は当事業所のある国府台歴史についてご紹介させていただきます。
国府台の名称は、歴史的に非常に古く日本書紀や古事記に登場する日本武尊(やまとたけるのみこと)がこの地より川を渡ろうとした際、一羽のコウノトリが降り立ち、浅瀬の場所を教えられました。これを見て尊は大変喜び、この地をコウノトリに授けたため「鴻之台」と呼ばれるようになったとされています。
現在の漢字の用法である「国府台」は、律令制のもとで8世紀頃に下総国の国府(こくふ)と言われる国の政務を執る施設が設置されたことに由来されています。
この地に人が住みはじめた歴史は非常に古く、北部に旧石器時代の丸山遺跡があります(現在は宅地化)。また、弥生時代には、隣接する市川市真間地区にもまたがる大規模な環濠集落があったことがわかっています。さらに、古墳時代には、法皇塚古墳(東京医科歯科大学敷地内)、明戸古墳(里見公園内)の2基の前方後円墳など、国府台近辺に数十の古墳が築かれたと推定されています(国府台古墳群)。
中世には上杉氏の重臣・太田道灌が仮陣を置き、弟の太田資忠らが国府台城を築きました。その後、千葉氏の支配下に置かれますが、戦国時代に同氏が衰退すると、里見氏・後北条氏などの介入が相次ぎ、2度にわたる国府台合戦の舞台となりました。
明治時代には1874年(明治7年)、真の高等教育機関の建設を目指していた明治政府は、同地に「国府台大学校」という名称の学校を設置しようという計画が立てられ、用地も買収したが西南戦争による資金不足などもあって立ち消えになりました。1885年(明治18年)、東京に近接するこの地(大学校用地跡)に陸軍省が陸軍教導団を設置しました。以降、終戦までの間国府台は「軍隊の町」として発展しました。1899年(明治32年)、教導団廃止後には引き続いて野砲兵第二旅団、1922年(大正11年)、同旅団に代わって野戦重砲兵第三旅団(野戦重砲兵第1連隊、野戦重砲兵第7連隊)をこの地に配備し、終戦まで置かれました。その他、騎砲兵大隊、高射砲連隊、独立工兵連隊などが置かれたことがありました。また、1886年(明治19年)には陸軍教導団病院が設置されたが、同病院は、のちに国府台陸軍衛戍〈えいじゅ〉病院となり、さらに国府台陸軍病院となりました。

第二次世界大戦後、陸軍が解体されると陸軍病院は厚生省へ移管され、国立国府台病院(現在の国立国府台医療センター)となりました。その後は東京近郊の住宅地として急速に宅地化が進みました。陸軍の跡地は現在、東京医科歯科大学や千葉商科大学、和洋女子大学、筑波大学附属聴覚特別支援学校、公立高校としては比較的有名な千葉県立国府台高等学校も設置されて「学園都市」として発展しています。また、国府台城址は「里見公園」として整備されています。
以上、今回は国府台の歴史について紹介させていただきました。
次回は現在の国府台についてご紹介させていただきます。
当事業所にご興味をお持ちになられましたら、ぜひご連絡をいただきますようお願いいたします。
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