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永谷天満宮のお話

永谷天満宮のお話

2025/4/23

こんにちはリハスワーク横浜港南です😊
本日はリハスワーク横浜港南の目と鼻の先にあります永谷天満宮についての民話をご紹介します。
学問の神様の菅原道真公を祀られている永谷天満宮ですが合格祈願に
訪れる人が多く、私の息子も高校受験の時にお世話になりました。
大学受験の時は他の神社に行ってしまったからか第一志望の大学には行けませんでした😢
実は私、今年の1月に介護福祉士の国家試験を受験をしたのですが
勉強もはかどらず最終的に行き着いた先は神頼みでした⛩️
そのおかげかどうかは、わかりませんが無事に合格することができました。
みなさん、永谷天満宮が気になってきたのではないでしょうか?

永谷天神と菅秀才 上永谷

永谷天満宮は、永谷の天神さまとして親しまれ、菅原道真が、自分の姿を鏡に映して自分で刻んだ、三つしかない木像のうちの一体をもつ神社として、知られています。

菅原道真は、平安時代の人ですが、醍醐天皇の信頼が厚く、時の支配者である藤原氏と対立し、延喜元年(901)九州の大宰府に流され、延喜三年その地で亡くなりました。
文学や文章を書くことに、すぐれていましたので、学問の神様といわれています。

菅原道真には、十三人の子どもがおりましたが、その第五子敦茂は、父の才能を受けつぎ菅秀才と呼ばれるほどで、父の道真も大いに期待し、三体の道真像のうちの一体を、そっと渡していたのでしょう。父の道真と共に、子どもたちも都から各地に追放されました。
伝説によると、敦茂は永谷の郷に移されたということです。
菅秀才敦茂が、相模に住んだという記録はありませんが、いまの上永谷の天神山のふもと、つまり、現在の貞昌院あたりに住んでいたと伝えられています。

敦茂は、天神山の頂上に立ち、はるか遠くの九州太宰府の父、道真公をしたいながら、朝夕のご挨拶をされたということです。
山の上には、敦茂が愛用した筆や、髪の毛を埋めたとも伝えられる、菅秀塚の碑があります。

むかし、その塚の上にあった杉の老木を切ったところ、村の人びとがケガをしたり、病気になったりしたと伝えられています。
菅原敦茂がいつ生まれ、いつ死んだのか、くわしいことはわかっていません。文章博士や、そのほか重要な役目につぎつぎとつくなど、親子二代の学者として有名でした。

道真像は敦茂から多くの人を経て、上杉乗国に伝えられ、夢のおつげによって、明応二年(1493)ここに社を造り、ご神体としておまつりしました。これが現在の永谷天満宮です。
外の二体の道真像は、道真のお墓のある福岡県の安楽寺と、生まれたところの大阪府の道明寺にあります。

このような民話が残っております永谷天満宮です。
合格祈願したい方、神頼みしたい方、リハスワーク横浜港南に
興味がある方は、ぜひぜひお問い合わせお待ちしております。

https://rehas-work.com/work/rw_yokohamakohnan

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