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秋祭りとお神輿について

秋祭りとお神輿について

2026/10/14

こんにちは。リハスワーク市川国府台筆者Tです。

秋の祭りのシーズンになりました。
夏祭りと違い、秋祭りは収穫を祝う祭りであり、五穀豊穣を感謝し次の年の実りを祈る意味があります。

多くの場合、地域の神社や寺院で行われ、地元の神々に感謝を捧げます。
地域ごとに特色があり、神社の祭礼や地域の伝統行事が組み合わさっていることが多いです。

また農業社会において重要な役割を果たしており、収穫の時期に行うことで、農民たちの労をねぎらう意味も併せ持っています。
市川市行徳は、神輿の町としても知られています。

行徳の歴史は塩づくりの歴史

東京湾に面した行徳は、古くから半農半漁の村で、そのかたわら塩づくりも行われてきました。
戦国時代にはすでに江戸湾岸における最大の塩の生産地になっていました。
徳川家康は江戸城に入城すると、軍需物資として欠かせない塩の確保先として、江戸城に近い行徳に目をつけました。
行徳を天領(直轄地)として塩浜の開発に莫大な資金を投入し、村民の年貢を優遇したり、頻繁に発生した自然災害の被災時には復興費を賄うなど、行徳の塩業を手厚く保護しました。
そして行徳から江戸城まで塩を運ぶため、隅田川と江戸川を結ぶ水路を開削し、航路や街道の整備を行いました。

港町・宿場町としても栄える

行徳に河岸(船着場)ができると、塩以外にも多くの船や人が出入りするようになり、行徳は活気のある港町となりました。

幕府の基礎が固まり平和の世が続くと、江戸の人々の間で、成田山新勝寺や香取神宮、中山法華経寺などへの参詣が流行しました。中でも成田山詣りの人気は高く、年間10万人もの人々が訪れたといいます。

行徳船と呼ばれた船で日本橋から行徳まで渡り、そこから歩く(当時の行徳は市北部と陸続きでした)コースが多く利用され、行徳は川と陸の交通の要として、また宿場町としても大変にぎわいました。

塩浜開発が進むとともに、塩田を囲むように寺社が次々と創建され、江戸時代になるころには「行徳千軒、寺百軒」といわれるほど寺社の多い寺町となっていました。海に近い行徳は、湿度の関係で塵が少なく、漆塗りにも適していたようで、腕のよい宮大工や仏師が多く集まりました。

一説には、行徳で神輿づくりが始まったのは、3代将軍徳川家光(在職:1623年 -1651年)のころで、日光東照宮の造り替えに携わった匠たちが、天領地であった行徳の地を譲り受けたのが始まりともいわれています。
しかし実際のところ、江戸時代の神輿づくりの記録はほとんど見つかっておらず、詳しいことは明らかになっていません。

江戸時代の祭りは、神社の神輿とともに派手に飾り付けた山車が各町をまわるのが主流でした。
しかし明治の文明開化とともに電線が普及し道路も整備されてくると、背の高い山車が町内を巡るのが難しくなり、また山車は維持費もかかることから、コンパクトな神輿に切り換える町会が増えました。

一方で職人たちも、明治に入り寺社建立の気運が下火になったことで、宮大工や仏師としての仕事が減り、その技術を活かして神輿づくりに力を入れるようになりました。
1909年(明治42年)の東京・深川祭で大小54基の神輿による連合渡御(れんごうとぎょ)が評判になると、各地の町会がこぞって神輿を製作するようになり、注文が急増。それまで神仏具の製作を家業としながら神輿を製作していた店も、専門の神輿店へと転換していきました。
神輿製作は昭和の時代にその最盛期を迎えます。
特に戦後の復興期から高度成長期にかけては空前の神輿製作ブームとなりました。
戦火で焼失した神輿を復活させたいという機運が高まり、また依然として続いていた山車も、戦後の都市化の中で次々と姿を消し、神輿に切り換えられていきました。

明治から昭和にかけて製作された全国の江戸神輿の数は4000基にものぼり、その半数が行徳神輿ともいわれています。
神輿(みこし)とは、神様(御霊)が宿るとされる移動式の神社。祭りの担ぎ手が肩に担ぎ棒を乗せて練り歩き、しばしば左右に激しく揺さぶります。 神輿とは何か、なぜあのように担がれるのかを解説します。

神社本庁は、神輿を「神さまの御霊(みたま)を奉安(ほうあん=大切にお納めすること)する乗り物」と説明しています。
また東京都神社庁の解説では、氏子(うじこ=地域の祭りを支える人たち)が各地区を練り歩くのは「神さまに各地区をご覧いただく」ため、とされています。
お祭りで神輿が町を進むことは、一般に 『渡御(とぎょ)』と呼ばれます。
神社本庁(神社の全国組織)も、神輿の渡御を「勇壮な神事」と説明しています。
つまり、神輿は「盛り上がるイベント」以前に、神さまに関わる儀式の一部です。
 
神社本庁の「渡御祭」解説では、神さまが神輿などにお遷りになり、氏子地域を巡幸していくことで、神と人が一体となり、人々は活力を取り戻し、神さまも人々の姿を見て喜び、各家に御神徳を与えると信じられている、と説明されています。

神輿を担ぐ時に「わっしょい」と掛け声を掛ける意味は何でしょう。
みんなの気持ちをそろえ、神さまをお迎えする“場”をつくる(神と人が一体になる空気)
神輿を担ぐときの掛け声「わっしょい」は、辞書でも “神輿などを担ぐときの掛け声” と説明されるように、神輿渡御そのものに結びついた声です。
さらに日本の神道には「言霊(ことだま)」の考えがあり、言葉を口にすること自体に力が宿るとされます(※これは「わっしょいの語源」ではなく、“声を出す文化的土台”の話です)。
「わっしょい」は、神輿など重いものを大勢で担ぐときの掛け声です。
ただし、語源ははっきりした定説が見つからず、諸説あります。
 
よく挙げられるのは、次の2系統です。
 
「和を背負え/和して背負う」説:みんなで“和(=団結)”して担ぐ、という意味合いから来たという説
「和一処(わいっしょ)/和一緒」説:みんなで“一つの場所(=一処)”に集まり力を合わせる、という意味合いから来たという説

一方で、「和上同慶(わじょうどうけい)」説なども語られますが、実際に神輿渡御でその掛け声が使われていたかは不明、とする説明もあります。
本記事では確実に言えること——掛け声が担ぎの調子(リズム)を取り、動きをそろえる助けになる点を中心に説明します。
人がリズムをそろえて動く「同期(どうき)」は、一体感や協力を高める方向に働くことが研究で示されています。

・同期して行動すると、協力が増える可能性(実験研究)
・同期した運動は、痛みの感じ方(痛覚閾値)を上げる=エンドルフィンの関与が示唆(ボート部の研究)

噛み砕いて言うなら、みんなで声と動きをそろえると、体が「仲間だ」と感じやすくなって、しんどさが“少し軽く”感じることがある。
だから、祭りの大声は「気合い」だけでなく、「そろえるための道具」にもなっている可能性があります。

祭りの様子の写真1

最後になりましたが、当事業所スタッフのお祭り男、Aさんの紹介をさせていただきます。

祭りの様子の写真2

Aさんは30年ほど前から神輿を担ぐようになり、お祭りに参加されるのが好きなので、この時期は毎週のように神輿を担がれていて、とてもカッコイイです。
睦(むつみ)の役員もされており名実ともに真のお祭り男です。
 
ご興味をお持ちになられましたら、ぜひご連絡をいただきますようお願いいたします。
 
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